世界一であってこそ、日本一。


先週の話になるんだけど、本田技研工業の勉強会で、ツインリンクもてぎに行ってきたんだ。
80年代の往年のNRやNSRがじっくり堪能できるMotoGP特別企画展『RASHIN(裸身)』が催されていた。同行していたみんなはASIMOくんショーだったけど、ボクだけはこっちにクギ付けであった。

話題の新車、CR-Z(シーアール・ズィ〜と発音する)をサーキット試乗。話題のハイブリッドスポーツをレッドゾーンまでブン回す!(気分だけですが)

やっぱりもてぎサーキットはオモロイです。ストレート〜S字突入は5速160kmで自分の限界ビビリミッター発動(もちろん6速まであったが恐ろしくて使用出来ない)。普段、4速ハンドチェンジ1948年製のオートバイに慣れてるとシフトチェンジが劇的に遅くなるんだ。ペアで交代しながら3周するんだけど、もう片方は生粋のクルマ好きなもんだから「遅い!遅いよオメエ〜」と言われっぱなしであった。
『・・・パンヘッドの後ろに乗せて別な意味で恐怖を味わわせてやるか』と内心思った。

さらにアクティブセーフティ講習というコトで、濡れた路面でのカウンターとかも練習させてもらった。くるくるくるくる。東北人なので雪で滑って回るのだけは得意です。

しかし、なんといっても本田宗一郎ですよ。座学では本田技研工業の社員だけが閲覧できるというイントラネットで、ご本人の肉声を集めた名言集を特別にスクリーンで見せてもらったのだが、ホントに感動して一人涙した。
今のHONDAの社長もこの偉大な創業者に直接関わったことのない世代になってしまったそうで、宗一郎イズムを忘れてはいけない、という危機感がアーカイブを生んだのだそう。
ちなみにこのアーカイブを残そうと奔走したのは、オフの名車、CRMをデザインされた方で、当講演で目の前で解説して頂いていた本人だった。終わった後に、握手しに行った。なんで司会と握手してんのかみんな分からずボー然。

藤沢武夫の功績も当時のVTRで見せて頂いたが、非常に素晴らしいものだった(本田宗一郎に自転車につけるエンジンを開発させた上で全国の自転車屋に手紙を送り、自転車屋を二輪販売代理店にしてしまうといった魔術的な戦略を得意とした。経営の一切を任され、ホンダを世界的な大企業に育て上げた)。

ミュージアムでは55年のキレイなRQが鎮座。CR-Zではなくてこれに試乗させてくれと懇願したが、やっぱりダメだった。

自分の喜びを追求する行為が
他人の幸福への奉仕につながるものでありたい。
本田宗一郎
そういえばボクが乗るパンヘッドが生まれた1948年に、本田は創業したのだった。


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