江戸旧「夜間火力装備訓練」後編。

時刻は23時。さて、遅い乾杯です。辺りは静かでひんやりとした夜でした。


本来の趣旨に則り、夜間火力訓練をしてみました。珍しく調理なんかしてみたりして。
意外と上手く出来たゾ。みてみい、この見事な散らかしっぷり。


パン太郎さんも仕事明けで駆けつけてくれて、久々のバイク談義と野営の雰囲気でやたらハイテンション。


あっという間に、午前3時。McCOYさん寝落ち。


翌朝。小学校の校外活動に使用している施設なので、この教室でザコ寝でした。

となりの教室では・・・・









爆笑の幕僚長沈没の図。

抜け殻みたいな脱ぎ方ですね(笑)。





早朝に降った雨も小康状態に。


ポイントの部分だけレジ袋を被せておいたけど、シートもレジ袋を被せておけばよかったと後悔。


これぞザ・野営、WLA雨天時斥候バージョン。


朝からシェブラーで盛り上がっている変な人たちと。


ほんとうに変な人。





意味不明なC92トランスフォーム。


霧のようなお湿りになってきたので撤退開始。





施設をお借りした鈴木貫太郎記念館に御礼の挨拶へ。
鈴木貫太郎は太平洋戦争終結時の第42代内閣総理大臣で、ここ野田市関宿町で波乱の人生を終えました。
2・26事件で襲撃されましたが、妻の機転で一命をとりとめ、また安藤陸軍大尉は鈴木について「噂を聞いているのと実際に会ってみるのでは全く違った。あの人は西郷隆盛のような人で懐が大きい」と評し、「鈴木貫太郎閣下に敬礼する。気をつけ、捧げ銃(つつ)」と言って襲撃隊は去ったと伝えられています。





「為万世開太平」

玉音放送の一節
『然れとも朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す』






さて。朝練コースの復路出発です。


雨でエキパイが赤錆になってしまいました。CRC吹いとこ。


途中で昼食。あんたはバイク趣味は変わったけどアノ時と食は変わらないんだな〜(笑)




おしまい。またこの企画やりましょう!


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