ご報告。

非常に唐突なのですが。



このたび、東京を離れることになりました。




5/1付けで福島に着任します。正確には、故郷である福島に戻ることになりました。



東京での12年に渡る生活は(学生時代を含めるともっとですが)、仕事もプライベートも、いまの自分の根幹を形作るほどに充実した日々でした。充実しすぎるほどの濃密さを伴った贅沢な10余年の歳月でありました。


ここでは仕事の話はさておき、その他のことをお話したいと思います。

思えば東京に来て最初の頃、福島旧車会をBUNさん、ノンリーと3人で立ち上げた矢先でした。都会で独り、インターネットをしてもヒマだったので、この『旧式河童堂』という個人サイトを作ってみたのでした。猫がメインだったと思います(笑)。
ハーレーはすでに赤い1948パンヘッドを所有していて、当時は純正部品を躍起になってかき集めていたものでした。
ある日、ふと純正部品を集めるのに疲れてしまったのですが、ここで衝撃的な出会いを果たしたのであります。


船場さんの焦げパンでした。
あのときはMcCOYさんがいろいろと助けてくれて、船場の学さん、康さんにも大変お世話になって自分の元へやってきた1948パンヘッドでした。ホットバイクの池田さん、ぽんさん、リュウくんにもお世話になりました。


前後して、このサイトのご縁でかーるさんと出会い、なりさんと出会い、江戸川旧車会という旗印のもとに、素晴らしい旧車乗りの皆さんと知り合うことになります。
HDNのtakuさんにも東京で出会い、バイクに限らず、仕事上でも自分の視野を広げてくれた大切な友人になりました。
すぷさんと初めて会ったのは、あの最初の琵琶湖旧車キャンプでしたね。
ジャックパインラリー1stも良い思い出です。あんなに全国から旧車乗りの知人友人が集ったイベントはもうないかも知れません。


少し振り返ってしまいましたが、河童堂は福島に行っても更新します(たぶん)。




さて、そんな東京の生活もあと一ヶ月となりました。いまはインターネットでどこでも誰とでもつながることができます。
だから田舎に居ても寂しさは感じないかというと、実はものすごく寂しい。


東京の良さというのは、人と人の接触頻度の高さ。ネットでやりとりしていても、すぐに会える。それはもう、圧倒的に。
とにかくたくさんの人がいて、それだけ多様な価値観が存在していて、それを体感してしまいます。

田舎に居ても情報は共有できるけれど、例えばあのナックルやあのお店、あの人、などにすぐ会うことはできなくて、しかしながら、それをネット上ではリアルタイムでみてしまう。これはかなりもどかしい。
これがそのまま文化の地域格差ということになるのかも知れませんが、暮らすには田舎の方がいいと思っています(渓流釣りが出来るからに他ならないのですが)。
家族ももちろん一緒で、福島なので一抹の不安はあるようですがもはや問題ないでしょう。ママ友がいないことが一番心配らしいです。






まだ一ヶ月ありますから、東京生活を満喫したいと思います。





引っ越しの準備もしないと。ガレージ整理は気が重くなりました。
大丈夫かなあ。


書籍の数がひどく多いので、これも悩みの種。



・・・こういうの、真っ先に捨てられそうで戦々恐々としております。




さらば、東京。天気晴朗ナレドモ波高シ。


楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
(「坂の上の雲」1巻あとがき)





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