2014年3月12日水曜日

3年後。

3年という節目ってだけであまり書く気にはなれないのだけど。








あの日あの時は東京の赤坂(TBS)にいて、どうしようもない瞬間で。
とっさに震源は都心だ!って思ったら、「おお!福島局!何やってんだ早くオフィスに戻れ!」って言われたりして、状況がつかめなかった。



その後、状況を把握してからの動きはいま、ほとんど思い出せない。徹夜徹夜で仕事だけしてた。ある意味、現実逃避だったと思う。





当時住んでいた柴又の住まい。いま取り壊してるんだってね。思い出が消えて行くなあ。


福島は惨憺たる窮状だった。生まれ育った祖父宅は古い家屋だったので全壊。
思い出の品々を持って帰った。今思えば、相当な放射線量だったと思う。


取り壊されたけど、思い出の家だったんだよね。じじばばに預けられてたから。子河童4歳?かな

ちなみに、その子河童3歳(笑)。ちょっと似てるかもね。



福島は岩手、宮城の被災3県の中では物理的ダメージは比較的少なかったにも関わらず、この東日本大震災の最も特殊にして今でも続く最大の試練を抱えてしまった。
原発事故だ。

たくさんの風評を見聞きしたし、いまでも被曝で死者が出たとか、防護服で稲刈りしてるとか(それ困難区域の実験なんだが)、そうした根も葉もない虚構が言われているけれど、こっちの地方局に来て2年、大切かつ正しい情報は極めてシンプルだったということ。
自分含めてみんな怖いから、どうしてもネガティブな情報の方が強く誇張されてしまうのではないかと思う。
汚染水問題は深刻だし、北半球の存亡をかけた世紀のUFOキャッチャー、「燃料棒の取り出し」だってこれからが本当のスタートだ。
東電も政府も、解決策がわからないのではない。そもそも何が問題かわかっていないのだ。


と同時に、震災前の水準にまで安全になった農業など第1次産業もがんばっている。
これにしても、ただ安全ですよ、というだけではもう福島産は買ってくれない。安全なのは当然として、さらに一歩進めてどこよりも美味しい、というブランディングがこれからは必要だ。
どこよりも美味しければ安全も保障されるという心理も働く。より良いモノづくりは風評と対極にあると思う。安全調査してます系は風評の土俵で戦い続けるしかないのだから。


でも福島の渓流釣りはまだダメだろうね。淡水はね。行くけどね(笑)。



焦げパンで被災地を巡ったのは一度だけ。でもブログにUPする気になれなかった。





あれから3年。福島に来て2年。もうすぐ、春が来る。渓流釣りにも行くし、もちろん古いハーレーに打ち跨がってふらふらする。ボクのスタンスは変わらない。


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